こだわりの合唱コンクール

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私がM中に来た年、私の1年生のクラスは山口百恵の「いい日旅立ち」を自由曲に選びました。みんなはいい曲を選んだね、先生の思い出の曲だと言って喜びました。合唱コンクールの結果は努力賞。(9クラス中上位3クラスの入賞以外は皆努力賞)次の年も生徒に好きに選ばせて努力賞。次の年も、その次の年も努力賞。4年連続努力賞。「根性で歌え、気合いを入れろ」では入賞できません。
ベテランの先生が言いました。「生徒に勝手に選ばせたら駄目だよ」と。歌謡曲を合唱にしたような曲は特に駄目。合唱のための合唱曲というのがあるんだよと教えてくれました。M中5年目にして初めての入賞。ここで悟りを開いた私はそれ以後入賞率80%を越えるようになりました。一番のポイントは「生徒にしてみれば歌いやすく、声が出しやすい曲。聞く側にしてみれば感動的。」これが入賞の極意と悟りました。勿論1番になるのは選曲だけではどうにもならないときがありますが、入賞は十分狙えます。一世を風靡した、「岩河三郎」の曲が全国各地で入賞をかっさらっていた時代があります。いまだに「親知らず子知らず」「海に沈んだ馬」「ひめゆりの塔」「木琴」「モルダウ」などは歌い続けられています。
私の尊敬するボヤッキー先生は合唱のマニアです。特にM中でボヤッキー先生が1年生に歌わせた「チコタン」は思わず涙が吹き出しました。私がS中4年目(平成13年度)にこの「チコタン」を歌わせる夢が叶いました。結果は2位。しかし、大満足でした。詳しくは今年度のネモトマン学級の紹介を見てください。

NO・18

 体育大会はたまたま足の速い者、力持ち、ジャンプの得意な者が集まったクラスが優勝する確率が大です。マラソン大会はマラソンが得意な者が集まれば優勝します。しかし、合唱は違います。クラスの団結、協力そして、努力がなければ絶対に入賞できません。合唱に偶然はありません。だから私はこだわります。合唱コンクールに!
 
 私が教師になって最初の学校は、当時荒れ果てた中学校で、合唱コンクールなど馬鹿らしくてやってたまるかといった雰囲気が充満していました。しかし、何とか2年目にコンクールをやろうという先生達の意見で実現しました。本番ではピアノの伴奏の音だけが響き、合唱している声は全く聞こえませんでした。結果は「団結賞」・・・みんなで団結して声を出さなかったという意味でしょうか。

 一方、次のM中では、遅刻の常習者が合唱の朝練習に一番に来て、大きな口を開けて歌っている姿に感動しました。利根川の河原で休日に集まって歌っている。真っ暗闇の校庭であっちでもこっちでも合唱が聞こえる。そのレベルもかなり高いものでした。
 つくづく思います。落ち着いた学校でないと合唱コンクールができないのだと。特に男が一生懸命に歌える学校ほどすばらしい学校だと思います。

 私はこのS中に来てびっくりしました。S中生の合唱に対する取り組みの真剣さに、その一生懸命さに。まさしくS中が平和なすばらしい学校であることを証明しています。
 そして、今年の3年生は1年生の時からレベルが高く過去にない高レベルの合唱が期待されます。ミレニアム2000年に新体育館での始めての合唱コンクール。記念すべき年です。

 その記念すべき年に3年3組が歌う自由曲は「ひめゆりの塔」です。沖縄戦の悲惨な様子を歌ったものです。道徳の時間に沖縄戦の悲惨な話や写真を見せたりしました。戦争の悲しみについて話しました。詩の意味も分からずに歌うのでは何にもなりません。後で映画も見せようと思っています。

 小渕総理大臣が沖縄にサミットを開催したかったのはこの悲惨な沖縄の歴史を世界中にアピールし、戦争の悲惨さを分かったもらいたかったためだと思います。小渕総理は沖縄サミットを目前に他界してしまいました。その無念がよく分かります。そこで私は今年こそ、「ひめゆりの塔」をやる時だと決心しました。テーマソングになっていた「NEVER END」の意味は沖縄の深い悲しみの歴史は決して終わらないと言う意味だと私は思っています。

 合唱曲3千曲の中から私が選んだ「ひめゆりの塔」が体育館中に感動の渦を、ため息を起こすと確信しています。課題曲の「大地讃頌」もすばらしい名曲です。3年3組が今こそ本当の団結をするときが来ました。どうぞ11月1日は仕事を休んで聞きに来る価値が十分です。ご期待下さい。(平成12年度)

NO・19

 こだわりの合唱コンクールで、3組は見事に優秀賞に輝きました。かつてこんなにもレベルの高い合唱コンクールがあっただろうか。これほどまでに感動的な合唱は聴いたことがありません。最優秀賞を狙ってどこのクラスも猛練習を積んできました。3年の先生は各クラスの採点をしている途中、差を付けられないと採点を放棄してしまいました。それは、3年生のどのクラスもすごい迫力で、感動的な合唱をしてくれたのでとても順位をつけられないと思ったのです。

 3組は自由曲の「ひめゆりの塔」の詩を理解することから始め、当時の写真や資料を配って戦争の悲惨さを考えさせました。20万人以上の犠牲者を出した沖縄戦。そして、青春のすべてを奪われ、犠牲になった「ひめゆり部隊」の女子高校生達。道徳の時間を使って「ひめゆりの塔」の映画も見せようと思います。私は、単に合唱コンクールで入賞するためだけにこの曲を選んだのではありません。沖縄サミットが開催されたミレニアム2000年、小渕総理の無念の死。今年こそ「ひめゆりの塔」を歌わせる時だと確信したのです。合唱を通して戦争の悲惨さをも分かって欲しいという私の願いです。入賞しようがしまいがそれは本当は些細なことなのです。

 運良く入賞できたので、今度は11月16日にS市民会館大ホールで「ひめゆりの塔」を多くの人の前で歌えることに喜びを感じます。ひめゆりの乙女たちが「ひめゆりの塔」の中で3年3組を応援してくれていると思います。3組の歌声がひめゆりの乙女たちに届くようにすばらしい合唱を期待しています。

 なめらかに流れるような指揮をしてくれた、Hさん。激しく迫力のある指揮をしてくれたI君。男子の中心として頑張ってくれた学級委員のH君、O君。一番苦労してピアノの練習を積み、すばらしい音色の感動的な伴奏をしてくれたHさん、Oさん。本当にご苦労さまでした。そして、3年3組のみんなに拍手を送ります。おめでとう!(平成12年度)

NO・20 発行11月22日

 11月20日の道徳の時間をもって超大作「ひめゆりの塔」が終了しました。最後は小説「ひめゆりの塔」の最後の部分を印刷して配り、写真集のようなものから、犠牲になったひめゆり部隊の悲惨な状況を印刷して見せました。

 市民会館でのS中の「ひめゆりの塔」が感動を呼び、次の日の朝それは涙雨になっていました。何も知らずに歌わせたくありませんでした。歌詞の意味も理解せずに歌わせたくありませんでした。しかし、沖縄戦の悲惨さを、事実のむごたらしさを知るとき、それを合唱なんかにできないと思いました。とても歌えないと思いました。それほどまでに戦争はすべてを奪ってしまう。戦争は人の人生のすべてを粉々にしてしまう。決して許してはいけない。決して忘れてはいけない。シーサーは沖縄戦の一部始終を見ていました。シーサーには人間の引き起こした戦争が理解できません。何の罪もない人々が命を奪われなければならないのか分かりません。「ひめゆりの塔」が「シーサーの疑問」が3組の一人一人に訴えかけたものを、3組の一人一人がしっかり受け止めてくれたと確信します。

 「合唱コンクールで自由曲・ひめゆりの塔を歌うと聞いたとき、どういう曲なのか知らないので11月1日午後、仕事を休んで聞きに行くと話しました。当日体育館に入ってみると保護者の方が大勢聞きに来ていました。1年生、2年生と順に発表を聞きました。きれいな歌声です。3年生になって3組の「ひめゆりの塔」を聞いて、きれいなやさしいピアノの音色に沖縄の美しい海と穏やかな島の風景が頭の中に広がり、何とも言えない気持ちになりました。熱いものがこみ上げてきて、みんなの歌っている姿が見えなくなりました。全身の力を耳に集中して聞き入りました。すばらしい。拍手する手に力が入りました。市民会館で歌うことになったとき、もう一度聞きたいと思いました。曜日的に仕事で行けないと話しましたが、市民会館へ行ってしまいました。また聞くことができて本当に良かったです。すばらしいハーモニーをありがとう。」(保護者の感想より)(平成12年度)


NO・10 発行10月9日

 見事にやりました。わが1組が合唱コンクールで優勝しました。こだわりの合唱コンクールで居並ぶ強敵を押しやっての第1位はすばらしいの一言です。
 今年の1組の生徒の取り組みに口を出す必要は全くありませんでした。それぞれのパートにリーダーがいて、お互いにどこがいいとか悪いとか率直に意見を出し合っていました。合唱練習の基本であるパート練習も私が言わなくても自発的にやっていました。

 指揮者の酒井君は、練習中鼻血を出しながらも的確な指示をしてクラスを引っ張ってくれました。夏休みから練習に練習を重ねて頑張ってくれた、萩原さんのピアノの伴奏は非常に力強かったと評判でした。(かなり難しい伴奏の曲でした。)ソプラノのパートリーダーの七尾さん、アルトの阿部さん、男子を常に引っ張ってくれた渡辺君の力も見逃せません。そして、全員の団結が何よりも優勝に導いてくれた1番の原動力だったと確信します。私の4歳の長男も「たった、たった水の上」を「かっぱ、かっぱみずのうえ」と歌い応援してくれました。今年のスローガン「団結、輝く心」まさに1組の合唱にぴったりの言葉です。

「やればできる」ということを実現したことの自信は、一人一人の生徒にとって大きな宝物になると思います。それにしても今年の2年生の合唱のレベルは非常に高くて、入賞することでさえ難しい状況でした。そんな年に1位になったことのすばらしさは、いくら褒めても褒め過ぎはないほどです。群馬県全体を見渡しても2年生のレベルはトップレベル間違い無しです。(0市の中学校のレベルが高い方でしたが今年のM中の2年生はそれより上でした。)

 来年は20回記念の文化発表会で過去に無いほどの高レベルな合唱が聴ける期待がもてます。合唱コンクールで得た自信を今後の人生を切り開いていく上で生かしてほしいと思います。2年1組万歳!(平成9年度)

 1年3組は私が受け持つ5度目の1年生ですが過去4度の1年生のクラスと比べても一番声が出ていたと思います。「夏の日の贈り物」という私が選んだS中初公開の曲でした。本番では練習以上にすばらしいハーモニーが感動を呼びました。いよいよ結果発表・・・先に2位の優秀賞から発表です。・・1年1組・・やったと1位を確信しました。(1組との優勝争いは分かっていました。)・・最優秀賞・・1年3組・・思わずガッツポーズを取ってしまいました。
 しかし、次の瞬間、「間違えました。優秀賞が3組でした」と、悪夢の訂正の声。そんな馬鹿な・・天国から地獄へ一気に突き落とされた気がしました。しかし、気を取り直して、入賞を目指してやってきたので満足だと思い返しました。クラスに行っても生徒をほめたたえ最後に万歳三唱して終わりました。悔いのない合唱が出来たので良かったと思います。今年のS中の1年生の合唱のレベルはとにかく高く、県下でも誇れるものと確信します。
 なめらかに流れるような指揮をしてくれた、T君、A見君、すばらしい音色の伴奏をしてくれたTさん、U君本当にご苦労さまでした。そして、1年3組のみんなに拍手を送ります。おめでとう!(平成10年度)

NO・8 発行10月7日

 3位6組、2位7組、1位は・・・・・1組かも・・・次の瞬間2組とコールされた。ため息が漏れた。まさか3位にも入っていないなんてそんなばかな・・・。合唱コンクールの成績発表は非情な結果に終わった。
 私がM中に来て初めて入賞を逃した。ところが私の過去の1年生を持ったときの合唱から比べると今年の1組が間違いなく1番うまかったと確信できるほどのレベルでした。私の3歳の子どもが何も知らずに「モルダー」と歌っていたのに残念でした。 
 評価は、人がするものです。誰がどう評価しようとも1組の合唱が1番だったと確信します。伴奏者の横山さん、指揮者の只石くん本当にご苦労さまでした。そして1組のみんなによくやったと拍手を送ります。パチパチ・・・・・(平成8年度)

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