太陽系9と4分の3惑星

伝説の理科教師ボヤッキー
平成28年6月18日ご逝去 喪中 ご冥福をお祈りします。

ボヤッキーとはS先生がM中時代に、生徒がタイムボカンと言う番組を見ていて、そこに登場するキャラクターの「ボヤッキー」がどこかS先生に似ていると言って付けられたあだ名。ドロンジョの参謀。メカ造りの天才。間抜けでお茶目。言語センスがたまらない。1977年当時から、女子高校生を愛するダンディ。タイムボカンシリーズ第二弾を名乗りながらタイムスリップできないのが悩み。詳しくは「ボヤッキー」で検索してみて下さい。

 私の結婚披露宴の、司会を頼んだ人がこの人でした。私の20年近い教員生活の中で、これ以上独創的な先生に出会ったことがありません。「金八先生」をはじめテレビドラマにも出て来ない、日本で現実に存在する先生の中で最も面白い、超個性的な先生です。もうこれは伝説です。日本中探してもこれ以上ユニークな先生は見つからないかも知れません。
 大学時代の専門は物理らしい。年齢不詳。本人曰く、1万2364歳?霞を食って生きているらしい。イスラム教の「ラマダン」では日が暮れたら飲み食いできますが、愛称「ボヤッキー先生」は1日24時間、1ヶ月でも1年でも何も食べなくても大丈夫らしい?何から何まで謎だらけです。
 かなり前に新築の家を建て、そこに一人で暮らしているらしい。その家に電話をしても、決して出ることはありません。その家に足を踏み入れた人は、ウルトラの母以外では、一人しかいないらしい。(私)携帯電話に電話しても常に電源が切ってあるか、
電波の届かない所にいます。おそらく電波の届かない、太陽系9と4分の3惑星のモグモグ星にいるものと思われます。腹の立つことに「携帯哀歌」とか言う嫌みな歌をカラオケで歌っているという。人間界の仮の名をS先生と言います。その凄まじい個性を皆さんに紹介します。
 
しかし、神的な存在のボヤッキー先生は平成28年6月18日ご逝去されました。本当に無念です。もうこんなユニークな先生は二度と日本の教育界に現れることはないでしょう。ご冥福をお祈りします。本当にありがとうございました。どうぞ天国で待っていてください。


ボヤッキー先生の聖なる机

本物は誰だ(ボヤッキー先生のイメージ)神の菜箸(ボヤッキー先生の新たなる伝説)
 究極のファッション館(着こなしのエチケットとは)

その1

信じがたい伝説の板書
ある日、あるクラスに、ボヤッキー先生が授業に行くと、日直が消し忘れたのか、前の時間の社会の板書が、黒板一杯に書いてありました。普通の先生なら、日直に消させてから授業を始めます。しかし、ボヤッキー先生は違います。そんなことは全く気にせず、その上から平気で理科の板書をしていきました。生徒達は唖然とし、それをノートに写すことに一苦労でした。嗚呼、びっくり。これは正真正銘の実話です。

その2

2月にボケ(木瓜)の花を咲かした、恐るべき車
3年生を担任した年の暮れ、卒業記念の記念樹が先生方にもサービスで配られました。ボヤッキー先生はバラ科のボケ(木瓜)をもらいました。そのボケの木をずっと愛車のブルーバードの後部座席に置いておいたのです。ボケの花の咲く時期は普通3〜4月です。ところが温室効果によって水もくれないのに2月に花が咲きました。「ボケの花が寝ボケて咲いた」
         嗚呼びっくり!

その3

伝説のブルーバード
それはまさに伝説。新車で買って10年以上もシートのビニールすら取ってません。理由は面倒だからです。また、車内をのぞき見すると、何でも入っている。何でも乗っている。大きな紙袋からは、書類に紛れて給料袋の茶封筒がのぞいている。中身も入っていそうだ。こっそり抜いてもばれそうにありません。
また、職員室の机の上は、書類やペニシリンの沢山取れそうな青カビの生えた給食のパンなどが、エッフェル塔のように高く積み上げられていました。

ある日、新年を迎えるにあたって机上整理をしていました。次の日に来て見ると、机の上には何もなく綺麗に片づけられていました。しかし、まだ必要な書類が混じっているので焼却したはずがありません。疑問はすぐに解決しました。そうです。愛車のブルーバードは臨時の物置にもなるのです。机上の山積みの書類は場所を変えただけでした。早速、車内を覗いてみると予想通りでした。ブルーバードには人を乗せる目的はありません。女性を乗せるなんて汚らわしいことは絶対しません。自分以外はすべて荷物です。助手席も人は乗れません。書類や給料袋や、ボケの花や、貰い物のコーヒーセット、ありとあらゆる物が所狭しとひしめいています。正月前と年度末は特に壮絶です。

その4

ブルーバードに初めて人を乗せた日。
誰一人として人を乗せたことのない車に、やむを得ず人を乗せる日が来ました。剣道部の副顧問として選手の輸送です。しかし、人が乗れるスペースはありません。そこに3人の生徒を乗せるらしい。決して、車の中の荷物を別の所に移動させる気は毛頭ありません。移動物置のような車内で、生徒たちは必死に荷物をかき分けながら自分のスペースを見つけてもぐり込みました。後部座席の生徒は窓ガラスに押しつけられながら、へばりつくようにして遠征場所まで耐え抜きました。

その5

ボヤッキー先生の意外な事実が発覚・・・それはカラオケの名人だった。
 カラオケが得意で、レパートリーが数千曲あるらしい。ただし、人に勧められてもすぐには歌わない。人を散々じらして嫌々仕方なく歌ってやるという態度をとる。しかし、ひとたびマイクを握った途端、もうボヤッキー先生を誰も止めることはできない。一曲歌い終わるやいなや次の曲を探している。そのジャンルは幅広く、その広さは銀河系にも匹敵する。演歌を歌ったと思うと、次は最近のアイドルの歌うような曲を歌う。美空ひばりの次は森高千里、モー娘を歌ったりする。最近気に入って歌っているのが「へーこきましたね」「携帯哀歌」らしい。「へーこきましたね、あなた。・・(突然早口になって)へーこきましたね、へーこきましたね・・」「携帯なんか持たなきゃ良かったー」その正確で几帳面な歌唱はおよそ彼を知る人にも想像がつかない。「聖なる机」からは想像がつかない美しさがある。ボヤッキンに侵された声帯と脳から、どうしてこんな声が出るのか謎である。昔は「花街の母」を歌っていたらしい。そのせりふを喋るところが爆笑もので、面白すぎて何人も失神したらしい。しかし、一番驚くべきことは、ボヤッキー先生が人を笑わせようとして歌っているのではないということである。こんな面白すぎる歌を歌いながら、無表情に、冷静にただ最後まで歌うだけである。

その6

謎の走行距離(ボヤッキー先生がO中にいたとき、同僚だったO先生からの証言。)
 ボヤッキー先生がO中に赴任する直前、いつでも嫁を迎えられるようにO町に新築の家を建てました。その家からO中までほんの2km。車で数分。往復で5kmにも満たない距離です。しかし、平均して毎日百キロ以上は乗っていたらしい。一体、何処へ、何しに行っていたのか未だに謎である。
 M中時代はよくA市のパチンコ屋「団地」に閉店まで通いづめていました。勿論、目的は「流体力学の研究」です。研究熱心なボヤッキー先生は何事も極めないと気が済みません。丸い小さな物体が釘にぶつかってどのように反射するか「入射角と反射角の原理」から計算します。そして、運動エネルギーと位置エネルギーの関係までも計算してパチンコを研究します。しかし、最近その研究は終わったと言ってました。では、何処で、何をしているのか謎はこれからも永遠に続きます。


祝テレビ出演

皆さんの投書や願いが届きました。伝説の理科教師「ボヤッキー先生」の科学教室がついに実現しました。9と4分の3チャンネルで放送され、驚愕の視聴率99.9%。あなたは、見たか?その強烈な個性と神の知性を。
ボヤッキー先生の科学教室 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回

ホームに戻る