卒論史上初・笑える卒論

卒論と言えば、自分の研究したことを発表するためなどに、真面目に書くものです。大学4年間の総決算です。
真面目に書くのは良いのですが、その中にユーモアを入れてはいけないのか。普通、誰も入れません。笑える卒論はないのか。ありません、私の知ってる限り。そもそも教授が許す訳ありません。「ふざけるな」と言って研究室を追い出されるかも知れません。私は運良く、楽しい卒論を書くことを許されました。M教授に感謝です。専門的な用語や知らない動物名・名称が出てきますが気にしないで雰囲気で読み取って下さい。

ヒアリネラ・プンクタタについて

 触手動物門・コケ虫綱・被口類に属する。群馬県内では多々良沼から得られている。浮遊中の木片・プラスチック製品などの裏面に好んで生育する。群体は余り多くない。群体の形状は最初はひも状であるが後には塊状となる。周囲は環状に赤く着色する。浮遊性休芽はだ円形・本種の浮遊性休芽は水中にある限り浮上しない。一般には本種は付着性は欠くとされている。MUKAIの野外およ室内飼育での観察においても付着性は見つかっていなかった。
 多々良沼では6月初めごろから10月初旬まで群体が生存する。有性生殖は6月中旬から8月上旬までの長い期間にわたって見られる。この間、ほとんどの群体には生殖腺および胚の存在が認められる。休芽の形成は群体の生育期間全体にわたって見られる。

= は じ め に =

 9月30日に多々良沼から持ち帰ったヒアリネラのついた下敷を実験室の水糟に丸一か月間放置くておいた。そして11月1日に何気なく私がその下敷を水糟から出して顕微鏡でのぞいていた。自分ではそれが紛れもなく正真正銘のヒアリネラ・プンクタタでありヒアリネラ・ツチネモニワなどという得体の知れないものであるなどと考えもしなかった。 あまりにも無知であった自分に疑う余地などなかったのである。

 類は友を呼ぶということわざは本当であった。無知な私の所に少々無知な者ともう一人正真正銘無知な者の三人が群体を形成するかのように集まった。私は一人にきれいだから見てみろとすすめた。最初に顕微鏡をのぞいたツチヤが私に聞いた。ヒアリネラは両方作るんだっけ。」と。私は自信を持って答えた。「ヒアリネラは水に浮かない浮遊性一種と付着性の計二種の休芽を作るんだよ。」と。つい最近M先生の書いたものを見たはかりだったので私には確信があった。
 ところが、そこに口をはさむ身の程を知らないふとどきな者がいた。ニワというその男は「ヒアリネラは付着性は作らねえよ」とぬかしたのだった。その全く無知とも言える顔には勝ち誇った自信のようなものがうかがわれた。そしてニワは控え室へ飛んでいって先生の書いた紀要の中の記述を見つけだして我々に見せた。そこには正しく「本種は一般に付着性休芽を欠くとされている」という記述が為されてあった。

 我々はさっそくM先生に報告し先生に確かめてもらうことにした。先生は最初、「本当かい」と疑わしい顔つきをして、しぶしぶ顕微鏡をいつものようにメガネをはずし、そのアナンデル海綿の骨片のような目でのぞき込んだ。そして次の瞬間、「あっ」という驚嘆の声を発した。と思ったら電話であった。我々はこの緊迫した時に、今世紀最大の発見になるかどうかの瀬戸際であるこの瞬聞に全く肩すかしをくらって腰くだけになってしまった。

 しかし、電話の応対から帰って来た先生が再度、顕微鏡をのぞき、しはらく凝視した後でその沈黙を破り一言、「まいった」とため息まじりに言ったのであった。そして続けて言った。「浮遊性に二種類ある」と。我々は自分の耳を疑った。否、本当は疑おうにも何のことかさっぱり分からなかったというのが正しい。
 付着性休芽ですらまだ世界で生群体中で見つけた者はいないというのに浮遊性休芽まで二種類あるとは。その浮遊性休芽は一方は従来のヒアリネラに酷似した型ともう一方はヤハズハネコケムシの浮遊性休芽にかなり近いと思われるプルマテラ型のものであった。

 こうして1982年11月1日(1月11日の反対)、我がM研究室で世界で初めてというヒアリネラの付着性休芽、並びにプルマテラ型の浮遊性休芽を発見したのである。後に先生はこのヒアリネラは先祖返りしたものだと言いだしたが、新種のコケムシである可能性も十分にありうる。先生にしてみれはこれが先祖返りしたヒアリネラである方が好ましく、我々にしてみれぱ新種である方が喜ばしかった。これが新種であると判明した暁にはヒアリネラ・ツチネモニワという名前まで用意してあったからだ。先生と我々の願望の相違が後に激しい口論の基となった。なお、このヒアリネラと正常なヒアリネラとの相違は別紙にゆずることにする。

 さて、私はこのヒアリネラの生き残りの7個虫を引き続き実験室で飼育することに成功し終に大群体を形成するに至った。この間、このヒアリネラの生活史を大ざっぱではあるが観察し、その浮遊性休芽の形成過程、更に付着性休芽の形成過程を中心に記録をとっていった。そしてある日、一つの疑間が私の頭の中にポカンとそれはまるでこのバカヒアリネラがプルマテラ型の休芽を難産の末、前庭孔から放出し水面に浮上するかのように浮かんできた。その疑問とは付着性休芽を作る際休芽の後部に付いていた胃緒がどうなるのかということであった。M先生にさっそく聞いてみた。先生ならこんな事は常識の昼飯前として知っているに違いないという淡水産的な期待があったからだ。そしたらどうだろう。付着性休芽の形成のメカニズムは全く分かっていないということであった。先生がわからないということは世界でだれも知らないということに他ならない。

 私はこの謎につつまれた付着性休芽形成の過程を世界で初めて解き明かそうという野望に燃えたのであった。そしてその謎を遂に世界で初めて解き明かしたのである。・・・以下まじめな研究内容が続く。

こんなすばらしい思い出を作ってくれたM教授は平成9年他界した。平成10年の年賀状の返事が奥さんからの喪中ハガキであった。止めどなく涙が出た。どうしてこんないい先生が死ぬんだ。俺に何でも好きなことをさせてくれた大恩師。学部長になったお祝いをしてやろうと思っていた矢先の出来事である。それに比べてユーモアの解らない奴ばかりが長生きする。冗談じゃない!