日本初!笑える研究紀要

研究紀要と言えば、どこの学校でも体裁にこだわって、もっともらしいことや、きれい事を書き並べる。
机上の空論や、やってもいないことをでっち上げることも珍しくない。その学校の教育実践をまとめるのが研究紀要だが、一般的に堅苦しくて、出来上がったものを読む者は殆ど皆無である。中には月刊少年マガジンより厚い研究紀要を作ってご栄転した人もいる。今、O市のどこかの校長をしている。みんなその始末に困ったものである。はっきり言えば紙の無駄使いである。
それよりも、本当に生徒のために苦労した実践をありのままに、形式などにこだわらずにまとめた方が余程いいと思う。笑える研究紀要など存在するはずが無いと思ったらここにあるのです。しかし、これは本当に真剣に書いた真実の記録です。私の苦しみと努力を、ストレートに書いたものです。

T中学校体育祭 生徒会顧問 根本満

 全国的にも珍しいと思われる本校の体育祭は生徒会が主催ということで、色々の方面から注目をあびてきた。その興味の焦点は、全くど素人の生徒会顧問の先生達が、暗中模索の中で四苦八苦する様を他の先生達が傍観するという点だと思われる。専門が理科や数学や英語の先生が体育祭を行うという信じ難い現実に生徒会顧問の教師達は4月当初から食ぺる物ものどを通らない程、悩んでいた。中にはそのことが学級経営にも影響していた先生もいたようである。

 何ゆえに、生徒会が体育祭という学校行事の中の最大のイベントと言っても過言ではないものを行わなければならないのか。過去の経緯は知らないが、新たに生徒会顧問になった先生には何の罪もないはずなのに原案を出せば、質問地獄に会い、今はやりのいじめの世界がそこに存在するといった雰囲気が職員室の中に体育祭の季節が来ると充満し始めるのである。

 さて、愚痴ばかりを言っていても仕方がないので昨年までのT中が全国に誇る体育祭の特徴をいくつかあげてみたいと思います。

@生徒会主催でありながら、ほとんど生徒会の本部役員はただそこにいるだけで、自分たちが主催しているという自覚がほとんど無いこと。

Aど素人の先生達が考えただけのことがあって、各種目の運動量の少なさ、レクリェーション的色彩が濃厚な点、その場限りの刹那的・享楽的な種目の多い点。
 
 58年度の体育祭で紅白玉入れ競争があったが、かごの中に紅白の玉を入れるゲームのはずが男子のほとんどは、かごを支えている生徒の顔面を目がけて力いっぱい玉をぶつけて楽しんでいた。終わりの合図でピストルが鳴ると、普通は終わりの合図を承知していて止めるはずが、かえって勢いよく玉を投げ出すのであった。やっと止めて玉を数えだすと、1つずつ玉を外に出すやいなや、新たにかごの中に玉が入ってくるという有様だった。
 更に百mしごきリレーという得体の知れぬ種目を新採用の先生が担当し、何をどうやって良いのかも分からず、準備等で必要な用具などをどこにどうやって置き、どう競技するのかも皆目見当もつかず、いい加減、極まりないものになった。その先生(私のこと)が神経質で責任感の強い教師であったなら今頃はパラコート(農薬の一種で当時これを飲んで自殺した人が沢山いた。)でも飲んでいたと推測できる。

B運営や組織がほとんど確立しておらず、見通しの無い、やってみなければわからないという全国的にも珍しいスリルとサスペンスに満ちている。

C生徒たちが体育祭のテーマを決める際に、テーマの意味が全く理解されぬまま、ワンパターンのテーマが続出した。出てきたテーマは例えば「熱狂!体育祭」「熱中!体育祭」「発狂体育祭」「燃えよ体育祭」あげくの果てには「桃色体育祭」というのもあった。T中の文化レベルの低さに驚かされるばかりであったが、今年度の「輝け!青春の汗」という、やっとテーマらしいテーマがでてきてほっとした。

DPTA種目が3種目も入っており、教職員と合同でやるつもりで考えられた種目にT中の職員はほとんど協力せず、冷ややかな眼差しで早く終わってくれることを心底願っていたという状況があった。

Eプログラムの時間設定が種目の性質、競技内容、生徒の実態を無視して作成されていること。これについては59年度の百mしごきリレーが15分予定が約1時間もかかっているという点に顕著に表れている。終了予定時刻を1時間以上も過ぎ(何種目かカットしたにもかかわらず)、見に来た父兄も飽き飽きする程だった。
 但し59年度は前年の百mしごきリレーの反省に基づいて考え出されたもので、立ちくらみをおこす生徒が続出するという無茶苦茶なものでこの種目を考案した責任者(私のこと)の過失が大と考えられる。

 以上の特徴・問題点を今年度は極力、解決する方向で一致団結し、学年種目の増設、生徒会の負担減、教職員の協力態勢の強化が功を奏し近年にないすばらしい体育祭となった。今後、夜も眠れぬ教師をつくらないためにも、ぜひとも体育祭を学校行事の一環として、専門の先生の絶大な協力を仰いで運営できることを願う。