*百ます計算や陰山メソッドで有名な陰山英男さん推薦 早寝早起き朝ご飯
すべての教師への提言

 一度教師が丁寧に分かりやすく教えたことを、生徒が理解し、いつまでも覚えているという幻想を教師が持っている限り教育の未来は見えてこない。「記憶するということは、本来忘れるためのものなのであり、それが人間の脳のもつ一つの優れた性質なのだからである」(動物行動学者 日高敏隆)
 どんなに素晴らしい授業であろうと、その時に理解できた事柄は時々刻々と忘れさられ、ついにはほとんどの生徒が忘れてしまうのです。どんなに教師が緻密な指導計画を作り、系統立てて行う授業も時の経過と共にその「系統」は崩れさり、生徒の中ではただの断片的な知識や印象が残るだけである。自分の中学校時代に教わったことで覚えていることを思い出してみれば明らかである。先生のつまらない駄洒落しか覚えていないかも知れない。だから、必ず「忘れる」という前提で反復させて覚えさせる必要が必ず出てくるのです。「理解させることを重視した授業」

T 発表の動機

 群馬県小学校中学校教育研究会・中学校理科部会・研究協議会 資料の表紙の概要説明にもあるように、多大な労力とエネルギーを費やして生まれた「電検」は、易しい問題から徐々に難易度を上げていって最後の1級の問題では、一見気の遠くなるような不可能に見える回路図ができあがりました。しかし、その不可能に見える問題をすらすら解く生徒が続出しました。勿論、数学の相対評価が1や2の生徒の中からも合格者が出たのです。それに付随して驚くべき事実が次々に生まれ、「これはすごい物を作ってしまった」と自分でも信じられない気持ちでした。
 ところで、新しい教科書では、10Ωと10Ωの並列回路の合成抵抗は「それぞれの抵抗より小さい」という全く意味不明な滅茶苦茶な表現になっていました。10分の1+10分の1=5分の1、これをひっくり返して5Ωだと教えることのどこが難しいのかと思いました。更に、直列回路と並列回路のあまりにも易しい回路図に限定されていて、両者の合体した回路図は扱われません。
 「ニュースステーション」や「徹子の部屋」にも出演した、今を時めく「陰山英男」さんの著書「本当の学力をつける本」のP150で「山口小の実践を世に問おうという考えを持ったのは・・今私たちがやっている実践が吹き飛んでしまうという危機感にかられてのことでした」と書いてありました。私はこの文章を読んで「全くその通りだ」と叫びたくなりました。
 私がこの「電検」をはじめとする幾つかの実践で、一見難解に見える、または今まで中学生には難しいと思われていた問題がいとも簡単に理解され、解かれてしまうという驚き(子どもの可能性のすごさ)・発見が、新しい教科書ではやらなくてもよいとなったら、今までの苦労はどうなるのかという怒りが込み上げてきました。それが発表しようと心に決めた一番の動機です。(今年の1月には、新学習指導要領による学習内容の大幅削減に危機感を持つ教師らが、検定を受けない中学理科の「理想」の教科書を出版したという記事が載りました)
 また、最近の教育現場での絶対評価の評価規準と評価基準の違いは何なのかとか、「十分満足」「おおむね満足」の違いを文章表現するために、膨大な時間とエネルギーをかけて作文練習に励んでいます。そのために長時間にわたる会議や研修に追われ、我々教師のゆとりはほとんどありません。一番大切な生徒との触れ合う時間まで奪われ、野放し状態の子ども達は荒れていきます。そこで、この「電検」のような教材を開発することによって、会議や研修の時間を必要最小限にして、生徒との触れ合いを増やし、部活動にも出られるようになると考えられます。これによって教師に「本当のゆとり」が生まれるものと確信しています。
 偶然にも昨年の8月14日に、榛東中に陰山さんが講演に来たことをきっかけに、この「電検」を見てもらう機会を得ました。そしてこの「電検」を推薦して頂きました。

U 電流検定(電検)の秀でた特徴
 かつて、アニメのポケモンが大流行し、百匹以上のキャラクターをいとも簡単に覚えてしまった子どもが続出しました。ところが、その子ども達の中には、漢字を母親がいくら教えても全く覚えられない子もいました。これは一体何を我々に示唆しているでのしょうか。以下に電検の秀でた特徴を上げます。
1,英検や漢字検定のように級が1つずつ上がっていくので学習意欲が驚くほど増し、更にゲーム感覚で楽しみながらでき、合格したときにはTVゲームで全クリした時のような喜びと満足感が得られる。(ほとんどの生徒が苦痛とは思わない)

2,競争心やライバル心を駆り立て、誰よりも早く合格しようと意欲的になる者が続出する。これは百ます計算のタイムを計るのと同じ効果で、大きな集中力を生み出す。早くできると名前が掲示され、みんなから称賛を受け「やればできる」自信をつかむ。

3,授業中だけではなく家で進めて良いので、うまく家庭の協力を得ると、親・兄弟・姉妹が一緒になって取り組むこともあり、そこに家族の対話が生まれる。また、親が子を励ます協力体制が生まれ、子どもの意欲が継続的に家族に支えられる状況も生まれる。

4,1級合格者が「電検名人」と言う教師となり、理想的な少人数クラスが形成される。途中でつまずいている生徒や、理解の遅い生徒の先生になることにより、自分の理解も更に深化される。1級合格者には手間暇かけて作った合格証が授与される。

5,授業中出歩きOKで、教わったり教えたりするうちに友情が育まれ、協力・助け合いの心が育つ。男女の協力や相互理解も育まれる。

6,算数の四則演算の反復なので、脳が活性化しあらゆる面で自信が持てるようになる。
(注)2について、陰山学級物語の掲示板に「100マス計算というのは算数というよりも体育的指導法だと思います。体を使って覚えさせる、また競争という要素もある非常に優れた指導法だと思います。」という東大教授の話が載っていました。
 このことについて、私は体育教師の免許も持っていてスポーツも大好きな人間です。また、運良く顧問になった男子バレーボール部が、群馬県の県大会で6度優勝し、関東大会4度、全国大会にも2度出場することができました。その経験から次のようなことが事実としてありました。
 初心者レベルのバレーボールの指導で、基本のオーバーパスをネットを挟んで2人で行うとします。何も指示しないでただやらせると全然続かず、いい加減なものになります。
 次に連続20回やれと指示します。最初に比べて格段に良くなりますが、間もなく集中力が切れ、黙って見ているとだらだらと1時間やっても20回続きません。このような指導で終始するチームは、その後の向上があまり望めないチームです。
 次に、20回連続を5分以内でやれと指示します。これが驚きです。信じられないほど真剣になり、突如として凄い集中力を発揮します。1時間でも20回続かなかったのが5分で出来てしまうのことがあります。これこそが「百ます計算のタイムを計ることによる、目覚ましい集中力の発現なのです。」これはスポーツの世界でも全く通用している素晴らしい指導法に一致しているのです。(勿論、スポーツでは5分以内に出来なかったら罰則を与えることも良くあります。)
 そんな考えを元にして練習した結果、部活動においても良い結果を出せたと思っています。「適度な回数を指定する」次に「時間の制約を与える。または、時間の目標を持たせる。」そして基礎の徹底した反復練習。これこそがスポーツにも学習にも共通した最も優れた指導法の1つだと確信します。
【一つの提案】百ます計算のようなものを難易度別に○○検定(小学校でやっている縄跳びの級のように)と銘打ってやると更に効果が上がると思うのですがいかがでしょうか。2分以内でこの問題を全問正解すると3級だとか、更に小学校でも一つのイベントとして特に大事な分野において○○週間とか、○○月間とか言って家庭をある期間巻き込んでやれるようなこともアイディアとしてはいいのではないでしょうか。
【授業のマニュアルとしてなぜ良いか】
 電検は基本的には、一通りの電気についての学習が終わった時点で行います。電流・電圧・抵抗の関係(オームの法則)について理解が不十分であっても、教師の指導が不十分であっても電検を始めることによってすべて補われてしまう。約1割の理解力のある生徒が先生になったり、仲間どうし教え合ったりしているうちにオームの法則がいつの間にか理解される所が驚きの事実です。
しかし、一つだけ注意してほしいのは、だからといって実験をほとんどやることなく、電流・電圧・抵抗の概念も全くできていない生徒に、学習塾のようにただ詰め込ませることだけは止めていただきたい。電圧が何V流れているとか、ここにかかる電流が何Aだという生徒には電検をやらせる意義は半減してしまいます。
*電流の指導法に悩む全国の理科教師にとって、画期的な救いの神となることを願っています。

V 電流検定(電検)の授業の流れ
電検開始1週間前
・各教室の廊下にPRのポスターを掲示し、期待感と好奇心をあおる。
・電検通信を発行し、各家庭に協力のお願いをする。家庭を巻き込む戦略。
・電検5級が10点、4級20点、・・1級合格で50点与える約束をする。(その学期の成績に大きく影響することを知らせておく)また、クラスで早く1級に合格した上位10人は名前を掲示板に張り出す約束をする。

電検開始(授業3時間予定で、最初の1週間を電検週間とする)
1時間目
 始めの15分は「電検開始直前プリント」を使って直列回路と並列回路の組合わさった基本の回路図で解き方を説明をする。その後準5級、5級を同時に配り電検開始。
説明できることを合格の条件とし、答だけ合っていても合格とはしない。口に出して説明することでオームの法則をより正確に理解させられる。また、ごまかしがきかなくなる。
 約1割(34人のクラスで3〜4人)の負けず嫌いの者や、最も意欲的な者、乗りやすい者がまるでロケット花火の導火線に火が付いたが如くに燃え上がる。早い者は2〜3分で準5級を持ってくる。一つ一つ説明させ全問正解になったら、わざと大きな声で「〜君準5級合格」と言ってみんなのライバル心や競争心をあおる。この時、電検用紙は返さずに裏返しにして教師が保管する。更に5級も合格したら「〜君、早くも4級」と言って封筒から4級の問題を渡す。1時間目では3級に入る生徒が2〜5人程度いる。1時間目終了後は問題を家に持って帰っても良いことを指示する。

 ここで約1割の生徒の役割が重要になってくる。教師が何も言わなくても、約1割の生徒は問題を家に持って帰って、自分が1番に合格したい一心で夢中になって電検を進める。中には親を巻き込み、兄弟を巻き込む。単身赴任している父親の携帯電話にかけて教わろうとした生徒もいます。これらの生徒は導火線に火の付いたロケット花火と同じで、一気に天まで届く勢いを持ちます。そうなったらしめたもので、あとは教師はひたすら丸付けに専念すればよく、いちいち細かい説明はいりません。この1割の生徒が後に私の代わりに教師となります。

2時間目
 教室に行くと既に、丸付けをしてもらうために行列が出来ている。上位1割の生徒が3級を家で解いてきて並んでいる。後ろの方の生徒には列に並ぶ時間がもったいないので、次の級に進んで空いたときに並ぶよう指示する。上位1割の生徒が3級合格し2級に入る。この頃になると、5割〜6割の生徒の導火線に火が付いている。友達に教わっても良いという条件を出す。(但し、説明できないと合格にならない。)そこら中で2,3人が集まり教え合う。しかし、まだコツのつかめていない者同士が多いので四苦八苦している。勿論、友達に教わるために出歩きOKである。

 中盤あたりで2級が合格し、遂に1級に入る者が出てくる。さすがに1級は手強いようである。4級・3級合格者も増え始める。終盤になり、とうとう1級合格者第1号(数学が最も得意な生徒とは限りません)が出る。「電検名人誕生」と大きな声で言ってやる。あちこちで「すげー」と言う声が挙がる。その生徒はみんなの称賛を浴び、得意満面になり、自信に満ち溢れた顔になる。2時間目終了時には3級、2級、1級の紙を家に持って帰る者が急に増える。こうして約8割の生徒の導火線に火が付き、家でも家族を巻き込んで夢中に電検をやるようになる。電検1級合格者は次の日に掲示板に名前が大きく載ることにより、大いに喜び成就感を味わいます。やれば出来るという気持ちを持ちます。だからと言って、うぬぼれたり、自慢したりする生徒は皆無で、むしろ他の友達に教えてやることで謙虚な気持ちが育ちます。

3時間目
 例によって行列が出来ている。授業時間でやるのは最後なので、まだ5級が合格していない生徒を優先的に見る。その後はフリー。1級合格者は「電検名人」となり、「分からない人は名人にどんどん聞きなさい」と言ってやる。名人の所に1〜2人ずつ集まる。ここで理想の少人数クラスが出来上がる。それも20人ではなく2、3人の極めて少人数である。こうして1級合格者は次々に「電検名人」となり先生と化します。導火線に火が付いてない子は「電検名人」に教わってコツをつかんだ途端、導火線に火が付き天まで飛んでいくエネルギーを得ます。

 こうしてロケット花火の導火線に、気が付くと半分やがて3分の2に火が付き、家庭を巻き込む生徒も増えていきます。普段あまり話もしたことのない者同士が、また男女関係なく教わりながら友情が芽生えたり、深めたりすることにもなります。クラスの輪が出来たりもします。中盤ではもうクラスの殆どが(無気力な2,3人を除いて)夢中になっています。1級合格者は「電検名人」となり、人に教えることによって益々理解を深め、標準的な入試問題なら簡単すぎて馬鹿馬鹿しいくらいになっています。3時間目終了時点で1級合格者が10人前後になり、10人の名人が2人ずつ教えると合計20人となりほぼクラス全員を網羅できます。
 私はひたすら生徒に説明させ、丸を付けることに専念し、後は何もしません。「電検名人」に任せて、どんどん導火線に火が付くのを見ながら生徒をけしかけたりします。「人に教える」ことは理解を深化させることを実感します。(*鳩山議員の話にもありました。)
*鳩山議員の話(親子5代にわたって東大に進学した政治家の鳩山邦夫氏の部屋には黒板があって、学習した内容を誰かに教えるようにすることで学習した内容を確かなものにしたそうです。−本当の学力をつける本より−)

その後の指導
 3時間目終了時点で5級が受からない生徒(クラスの約1割)には、放課後残して5級が合格するまで面倒を見る。(新教科書ではこの5級レベルが出来ればいいことになっている。)

 その後は電検週間から電検月間として、職員室の私の机に上に「電検箱」を作り、その中に解いた紙を入れておくと、私が暇を見て採点して、間違いが1つでもあればその生徒に返して直させて再提出させ、合格したら次の級に挑戦させることにする。こうして約1ヶ月間電検に熱中する生徒が続出し、家庭を巻き込み休み時間も無く夢中になる生徒が後を絶ちません。そして、今までこんなにも一つのことに夢中になったことはないと言う感想を書いてくれる生徒が沢山出てきます。

電検をやらせてみて一番思うこと
 教師がどんなにわかりやすく、優れた説明をしてもその場でその時間内に全ての生徒が分かる、理解できることはあり得ません。(30人以上のクラスでは尚更です)その欠点をすべて電検が補ってくれます。電検の授業中、教室ではあっちでもこっちでも「あっそうか」「なんだ、そうだったのか」「ああ、そういうこと」そんなつぶやきが聞こえ、その時の生徒の目が輝いているのが分かるのです。
 私はこの「電検」を理科の電流の授業としてマニュアル化する事が望ましいと考えます。この電検が日本中で行われ、それによって電流・電圧・抵抗の関係(オームの法則)が知らず知らずのうちに楽しみながら学ばれ、理解されるようになることが私の願いです。

W 基礎・基本の徹底反復の重要性を裏付けるもの
【公文式を創った公文 公さんの話】

 子供が勉強嫌いになる原因の一つに、学校教育における一斉授業の欠点がある。学校の先生は、どんなに学力差があっても、どこかに焦点を当てて一斉授業をしなければならない。一人一人に対して、その子にとって必要な「ちょうど」の内容を与えることができないのです。わからなくなった授業を一時間近く聞いていることほど、子供にとってつらいことはないでしょう。こうして「楽しくない」ことが「嫌い」につながり、「嫌い」になると、ますます「できない」という悪循環が始まってしまうのです。

 「どこまではしっかりわかっているが、どこからがあいまいになっているのか」を見極めてあげることが第一です。そのポイントがわかれば、今わが子に何を学習させればいいかが、はっきり見えてくるはずです。学習意欲を起こさせるには、やさしいところを沢山させて「できる」喜びを体験させることです。
 「楽にできる」「どんどんできる」体験を積み重ねることによって、「もっとやりたい」「次の段階に進みたい」という気持ちを持たせることができます。そして、いったんこの気持ちを持った子供なら、次の段階を的確に与えてやるだけで必ず順調に伸びていけるのです。また、授業を聞くことが中心では、「自分で読んで理解して、考えて書いて問題を解く」という体験ができにくく、学力が定着しにくいのです。

 世間では、勉強ができるようになるには、「丁寧に教えてもらうことが大切で、先生の教え方が微に入り細をうがったものであれば成績が上がる」と思われているようですが、これは大きな誤解です。学問は教わるだけでは身につかないのです。
 真人君は成績がかんばしくなく、お母さんが心配して一流大学生の家庭教師をつけました。その大学生は、問題を丁寧にかみ砕いて説明してくれ、真人君はそれを「うんうん」と聞きながら、納得している様子。ノートに書き留めています。お母さんは「いい先生が来てくれた」と喜びました。
 しかし、一年近くたっても成績はさっぱり上がらず、大学生の方から家庭教師を断ってきました。なぜ成績が上がらなかったのでしょうか。それは、教わっただけで真人君が満足してしまい、自分から問題に取り組もうとしなかったからです。できない問題にぶつかっても、考えるのは家庭教師で、真人君はもっぱら説明を聞くだけ。これでは、実際に自分で問題を解こうとすると解けないのです。

 実力をつけるには、自分の力で一定量の問題を解かねばなりません。とはいえ、それができないから成績不振なのですから、やみくもに問題に取り組んでもできるわけがありません。
 対策はただ一つ、自分がスラスラできるところに戻って再出発し、徐々にレベルを上げていくことです。そして、新しい内容に入るときも、最初からいちいち教えてもらうのではなく、知っていることと比べたり、例題をよく読んで理解し、それをまねるなど、自分の頭で考えてみることです。(悪いのは子どもではない・公文出版)
【動物行動学者の日高敏隆さんの話】
 「基礎」の教育が問題にされるのは、適当な方法で教えれば基礎的知識は教えることができるという信念が根本にあるからだと思うけれど、そうやって教えた生徒が、教えたはずのことを実は何一つ記憶もしておらず理解もしていなかったという、ガックリくるような屈辱的体験は、ほとんどすべての教師がもっているだろう。多少違いがあるとすれば、教師によって、あるいはむしろ教師の精神的若さによって、それを自分自身の責任と感じるか生徒の責任にしてしまうかだけのことである。
 けれどよく考えてみると、これは誰の責任でもないのかもしれない。記憶するということは、本来忘れるためのものなのであり、それが人間の脳のもつ一つの優れた性質なのだからである。たとえば、われわれがある映画を見たとする。そこにはタイトルから始まってストーリーとともに展開する無数の映像がある。われわれはそれを見ていきながら、次々とストーリーを追ってゆく。最後に見終わったとき、われわれには、「ああ、すばらしかった」とか「つまらなかった」とかいう印象が残る。
 すばらしかったという場合でも、われわれはそのシーンをすべて覚えているわけではない。主人公の後ろの壁にどんな絵がかけてあったか、どんな模様のじゅうたんであったか、そんなところは忘れているのがふつうである。そのかわり、われわれはストーリーを覚えている。だが、時間がたち、その他の映画やテレビを見てゆくうえに、それぞれのデテール(詳細)はどんどん忘れていって、主要なすじだけが記憶に残る。もしわれわれが、毎日目にしたものをすべてはっきり記憶していたなら、われわれは気が狂ってしまうに違いない。あるいは結局何一つ記憶できないかもしれない。忘れるのは記憶するためであり、記憶するのは忘れるためなのである。
 いずれにせよ、人間の頭は本来忘れるようにできていて、よほどのこと以外は覚えない。だから、生徒が教わったことを忘れるのは、人間らしいことであって、けっしてとがめるべきことではない。もし何もかも覚えている生徒がいたら、むしろ君はコンピューター的すぎるぞといって警告こそすべきであって、記憶をほめるべきではないのかもしれない。(動物はなぜ動物になったか・玉川大学出版部)

【国語教育で有名な大村はまさんの話】
「劣」に重みをかけすぎ、「優」を忘れていないか?
 いい先生というのは「劣」の子どもに親切にすることといった気風があって、やさしく親切にその子どもの世話をしていることで教師の務めを果たしていると自分で認め、満足し、それに酔ってしまって、いい先生であるような気持ちになってしまうことがあるのではないか。そして、一方の子ども達が退屈していても、また退屈しないまでも、その子どもなりに、優れていれば優れているなりに、もっともっと伸ばさなければならない、それを導く実力が教師になくて、教室の魅力が失われてしまっているという気がします。
 長年の教師生活で、「優」の子どもが上へ上へと力を伸ばし、打ち込めるような学習作業を与えることは、非常に容易ではなかった気がします。
(新編「教えるということ」・ちくま学芸文庫)
*この点「優」の生徒も、「電検」ではどんどん好きなだけ先へ進め、より難しい問題に挑戦でき、ついに1級が合格すると「電検名人」となり、友人に教えることにより、自分の理解がより完全なものになります。
【記憶のメカニズム(岩波新書・高木貞敬著)】
おぼえようという意図
 「必ずおぼえるんだ」という意志によって脳細胞の活動が活発となり、また抑制のメカニズムがとり除かれる。また、おぼえられるという自信を持つことが大切で、自信をもたないと脳細胞の活動に抑制がかかり、細胞活動が低下する。

おぼえるものに興味をもつこと
 興味をもつことはそれだけ脳細胞の活動を高め、統一することになる。子どもが通学途中のできごとなどよくおぼえているのは、好奇心が旺盛なためで、これに対して、大人が通勤途中のことなどあまり記憶していないのは、毎日毎日の生活に慣れて、好奇心が薄れ、心がすでに職場のことに飛んでしまったりしているからである。老人の記憶力が悪いのは、ひとつにはものごとにもうあまり興味を持たなくなっているためだといわれている。
 
年齢により記憶法をかえること
 記憶する人の年齢により記憶法を変えることが重要である。12歳頃までの子どもならば、意味がわからなくとも棒暗記が得意である。この年齢をすぎ、15、6歳頃までは図に書いてみたり、または年代順にならべたり、ある程度対象を整理するとおぼえやすい。さらに上の年齢となると対象の意味が理解できないとおぼえにくいことになる。

自分の得意な感覚を利用せよ
 人には、視覚型の人、眼で見たことをよく記憶する人、聴覚型の人、耳で聞いたことをよくおぼえている人、言語表象型の人、受けた印象を一度ことばに表現して記憶する人など、それぞれ得意とする感覚がある。自分の特性に適した記憶法を発見することが重要である。

なるべく多くの感覚を利用しておぼえよ
 記憶のためには、脳のなかにできるだけ多くの情報をたたきこむことが必要である。目で読むだけでなく、声を出し、手で書くなどして、視覚、聴覚、運動感覚を通せば、脳により多くの記憶痕跡を残すことになる。人の顔をすぐおぼえるのは、いろいろの印象が視覚にともなって同時に脳に入ってくるからである。

反復しておぼえること
 脳のなかに入ってきた情報はニューロンの回路をぐるぐる回転し、その状態で一定の時間がすぎれば記憶痕跡が固定する。したがって記憶の過程のなかには、反復ということが不可欠な前提条件として含まれているといえよう。50個の数字を記憶する実験で、1回から4回の反復では少しずつしか記憶しないが、4回以上になると記憶量が急に増加すること、つぎに7回以上になると全数字の記憶に到るまで増加はゆるやかになることを示している。

適当な休みの時間を入れること
 ものをおぼえる時、それを完全に暗唱できるまで、つづけざまにくり返し記銘する方法と、適当な休息を入れて記銘する方法とがある。前者を集中的記憶法、後者を分散的記憶法とそれぞれよんでいるが、後者の方が効率がよいことが知られている。
 ここでレミニセンスという現象を思い出していただきたい。情報が入ってくるとき、それによって多くのニューロンが活動させられるが、それらが整理ざれて、記憶痕跡を残すまでには多少の時間がかかる。おぼえた直後より少しあとの方が記憶量が増すという現象である。しかしそれ以上経過すると記憶量は減少しはじめる。aは休みが短かすぎるため、十分に記憶しないうちにつぎの記憶が加えられるから、4回目になると記憶量が少ないことがはっきりしてくる。労力の割には効果が少ないことになる。また、bは休みが長すぎたために、忘れはじめてからつぎの記憶がはじまることになり、4回目の記憶量がやはり少ない。cは各回の記憶量が最大の時につぎの記憶がはじまるという理想的な場合で、4回目の記憶量はaやbよりも断然多いことになる。どれくらい休みをおけばよいのか、それは人によってみな違っているから、各自、自己のぺースを見出すことが必要である。

X その他の実践における可能性について
 「電検」のような徹底した基礎・基本の反復や習熟を狙った教材開発が、これから更に重要になってくるということは、陰山英男氏の推薦の言葉からも分かります。その一方で、授業でのちょっとした工夫で思わぬ効果を生むことがあります。これも分析すると、反復学習がいかに重要かという証明にもなっています。2年の3学期末テストに次のような問題を出しました。
│乾球│乾球と湿球の示度の差 │
│(℃)│0 │1 │2 │3 │4 │5 │
│25│100 │92│84 │76│68 │61│
│24│100 │91│83 │75│68 │60│
│23│100 │91│83 │75│67 │59│
│22│100 │91│82 │74│66 │58│
│21│100 │91│82 │73│65 │57│
│20│100 │91│81 │73│64 │56│
【問い】乾湿計を使って湿度を測定しました。上の表は乾湿計用湿度表の一部です。これについて次の問いに答えなさい。
@乾球の温度が24℃,湿球の温度が19℃のとき,湿度は何%になりますか。
A乾球の温度が21℃,湿球の温度が18℃のとき,湿度は何%になりますか。
B気温が23℃で湿度が67%のとき,湿球は何℃を示しますか。
 この問題について@では160名中155名が正解(正答率96.9%)し、Aでは同153名が正解(同95.6%)し、Bでは118名が正解(同73.8%)しました。なぜ@、Aのような驚異的な正答率が生まれたか?それは簡単なことです。理科室(乾湿計が常時取り付けてある)での授業の最初の1分を使って「はい、では教科書の湿度表を開いて。乾球が22℃、湿球が17℃、湿度は何%?」と言って即座に挙手させ「はい、K君・・はい正解です」このたった1〜2分のやり取りを、天気の授業の最初にやるだけです。(どのクラスも4,5回の反復の結果です)
 その他、心臓と肺を巡る血液循環の右心房・右心室・肺動脈・・大動脈・・大静脈のややこしい問題も、血液循環暗唱大会と銘打って覚えさせたところ、2秒台で暗唱してしまう生徒が現れました。期末テストの結果も非常に良好でした。
 今後、こうした学力向上に直接役立つ実践、工夫によって、教師に「本当のゆとり」をもたらすことを願って止みません。

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