1年3組夢通信 

THE・田植え」特集(過去三年間の夢通信より)

初体験・THE「田植え」

私にとって初めての体験「田植え」でした。縄文時代から始まったか記憶は暖昧だが、とにかくずっとずっと前から、昔からあった稲作。元々雑草の一種だった稲がいつからか食用になっていました。今ではほとんど機械でやっている農家が多いようですが、昔ながらの田植えは本当にお年寄りには重労働だったと聞きます。校長先生でさえ初めての経験だと言いました。

 S中生が毎年恒例でやっているこの田植えの意義は非常に大きいと思います。まず私は、靴下を脱ぎ、短パン姿で田んぼの中に入りました。その快感とも言えるヌルヌル感。そしてズボズボと足が取られ底なし沼にでも入っかのようなスリルとサスペンス。

3組の生徒の中にもしっかり足を取られ、見事に転倒しそうになって、半身泥水だらけになった人もいました。私は汚れないように田植えをしようなんて無茶苦茶な考えはすぐに捨てました。汚れることを気にしてできるものではない。ましてや、理科で習ったアメーバが、田んぼの底にはっているので踏まないように注意して苗を植えろなんてできっこありません。やがて田んぼの表面に緑の膜ができます。

その膜が実は「ミドリムシ」だなんて誰が意識しよう。そのミドリムシが光合成もして、なおかつ一本のべん毛で動き回っているなんて誰が信じようか。

3組の生徒はピンと張った糸を目安に苗を植えました。4ヶ月後に生い茂った稲穂を刈る日を夢見て?・…終了間際、やけになって顔に泥を塗り合っている男子がいました。今は黒人差別だと言って、姿を消してしまった童話「ちび黒サンボ」にひっかけて「ちび黒タンボ」の誕生です。爪の奥に田んぼの泥が入り込んで真っ黒です。

泥の「におい」を「匂い」と書かず「臭い」と書くのは間違っていると私は思います。「匂い」は良いにおいを意味して「臭い」はくさいにおいを意味すると言われます。泥のにおいを「臭い(くさい)」という現代人がその泥水を吸ってすくすく成長し、そうして育った米を食べている。

S中生がこの田植えの体験から現代人が忘れかけている土のにおいを「匂い」として感じてくれることを願ってやみません。

雨中で二度目のTHE・田植え

18日はS中に来て2度目の田植えでした。朝からザーザーと雨音が響き、まるでそれは「ショパンの調べ」のようでした。といっても生徒には分かるはずもなく、とにかくS中の田植えが延期になることはあり得ないということだけは分かっていました。

私と、H先生の二人は1,2組を連れて田んぼに向かいました。雨水で例年より水量が多く、ちょっと苗をさすと見えなくなってしまいました。私は糸をピンと張る役目で、大声で「さがれ一」「植えろ一」「もっと深く」「苗は2,3本でいいぞ一」を繰り返し、ずぶぬれになりながら途中3,4,5組と交代し、5組の生徒も半ばやけになりながら、泥だらけもなんのその。「ちび黒サンボ」ならぬ「ちび黒田んぼ」があっちにもこっちにも出現しました。

昨年、S中に来て初めて田植えを経験し、今年は二度目の田植えでした。4ヶ月後に、生い茂った稲穂を刈る時の感動はすばらしいものです。S中生が、田植えの経験から現代人が忘れかけている土の匂いに(臭いではありません)親しみを感じ、その土が育む米の大切さを実感することは本当にすばらしいことです。パンツまでびっしょりになった生徒も先生も沢山いました。

どろんこになりながら、ずぶぬれになりながら、冷たい雨に震えながら、そして時に友達と戯れながら、泥水をかけ合いながらの「THE田植え」今年も無事に終わりました。S中生はこんなことで風邪などひかないたくましさがあります。次の日に熱を出して休む生徒はいません。いや、いないといいな…外はまだ雨。

炎天下で三度目のTHE・田植え

15日はS中に来て3度目の田植えでした。昨日までの梅雨空が嘘のように晴れ渡り、絶好の田植え日和でした。私は泥で汚れても目立たないようにと黒のTシャツを着ていきました。ところが照りつける太陽光線は、非情にも私の黒のTシャツにしっかり吸収され光エネルギーは熱に変わっていきました。

今年も私の仕事は、大声を出して「下がれ一」「植えろ一」と言いながら苗を植えるための目印の糸をピンと張ることでした。生徒も3回目ともなると慣れた手つきで予定より30分位早く終了することができました。この中学での3度の田植え経験は将来必ずや役立つことと確信します。泥の感触を知らない子供の増える中、S中生は、今年も真っ黒になって泥の感触を楽しんでいたようでした。

平成13年度 THE・田植えは大雨中だいうちゅう)の中でS中での4度目の「THE・田植え」は朝から雨でした。ザーザー降りの大雨でした。今時の親は、こんな大雨で、自分の可愛い子どもが風邪でも引かれては大変と教育委員会にでも訴えるのではないかとも思えました。

 まちなかの親はその価値観が分からず、こんな雨の中でやらせるなんて冗談じゃない、と言うかも知れません。しかし、S中の親は違います。田植えの価値観、掛け替えのない経験だということを良く理解していて、決して文句を言いません。田植えがもとで風邪を引いたら自分の子どものひ弱さを悔い、もっとたくましく育てればよかったと後悔するだけです。私も含めS中の教員もパンツびっしょりでやっています。

 大雨中の田植えは本当に「大宇宙」のような心の広がりをもたらし、「大宇宙」のような心の栄養となってS中生の血となり肉となり、一粒の米粒の有り難さが分かるすばらしい人間を作るために大いに役立っていると確信します。今年の1年生は、その丁寧さ、正確な苗の植え方では過去最高ではないかと思いました。何よりも真っ直ぐに植わっていました。苗も正確に3,4本になっていてびっくりしました。

平成13年6月17日大安・父の日・・我が父との別れ

今の自分にとって今の親はいい親かも知れません。今は、父親を素直に尊敬できます。それは幼い日の記憶の中に、全然仕事が無く家計が苦しかった時、ほとんどお金にならなくて手間のかかる仕事を頼まれても、いやな顔一つせずにやっていた姿が浮かんでくるからです。人が困っている時に、たとえたいしたお金にならなくても、それが自分の仕事なら、こころよく引き受けてやるという気持ち。“お金よりももっと大切なもの”がそこにあったのだと思います。今思えば、これ一つだけでも父親として尊敬するのに十分だと思います。欠点だらけの親でもすべて許してしまえるような気持ちが今の私にはあります。
注:父親の職業は建具屋です。(根本満物語より抜粋)

3組の生徒、保護者の方々に過分なお心遣いを頂きありがとうございました。この紙面を借りてお礼を申し上げます。(平成13年)