人はなぜ強くなければならないか
           新日鉄釜石 松尾 雄治

ピンチの時こそ個人の原点に戻る
 釜石の選手は、劣勢に立たされたとき、何をするか。そういう時こそ釜石のプレーヤーは、「まず個人の仕事をきちんと果たす」という原点に立ち戻る。不調の選手のカバーをしてやろうとか、ミスした選手のプレーを気づかうのはずっと後回しでいい。ピンチに陥ったときは、何をおいても、自分のポジションの努めを忠実に果たすという原則を自分に言い聞かせること。それに徹することができたとき、流れが変わり、自分たちのペースにもどっていく。
 残り5分しかないが、まだ2点をリードされている、そういう絶体絶命の状況でも、一人一人の選手が自分のやるべき仕事をきちっとやり始めたときから、そのチームは立ち直っていく。奇跡というのは、実はそういう堅実なところにしか生まれないものらしい。

完全に公平なジュースの分け方
 一つ違いの弟とは、よく揉めた。とても平等な父は、ジュースを均等に分けるときなど、二つに分けてジャンケンで勝ったものから取らせるというようないい加減なやり方はしなかった。では、どうしたかといえば、年上の私にはジュースをコップに分ける権利を与え、そのかわり弟には、先にコップを選ぶ権利を与える。これなら不満のもちようがなかった。

「やる気」を育てる三つの方法
aまず「自分がやってみせる」ということだ。自主的に意欲をもってやってみせ、見ていた選手が感動すれば、自分も真似してやってみようと後に続いてくる。
b「ほめる」こと。いいプレーをしたら、素直にほめてやる。ほめられると、選手はわざとそっけないような、無愛想な顔をするが、あれは心の中の嬉しさを隠そうとしているからだ。
 「俺はちょっとほめられたくらいでいい気になるような安っぽい人間じゃないぞ」とこわい顔をするが、嬉しい本心は手に取るように分かる。しかし、おだててはダメだ。おだてるのはすぐバレてしまう。

c夢のある話をしてやったり、別のスポーツでもいいから、いいエピソードがあったら話してやる。たとえば、「マラソンの君原さんは、一番苦しいとき、『次のあの電信柱までは走ろう』と自分に言いきかせながら走り、そこまでいったら『よしもう一本、次のあの電信柱までは』と、それを繰り返しながら自分と戦って走り抜いたんだそうだ。」というようなエピソードを伝えてやる。内容が自分たちの苦しい体験と似かよっているから感銘を受ける。

逃げ道を考え出したら負け
 人間はあまり追い詰められると、積極的に攻勢に出ようとするよりも、逃げ道や言い訳ばかり考えるようになる。
 「必ず勝て」とか「どうしても負けられない一戦だ」ということをあまり強調し過ぎると、「負けたときは、こういい訳をしよう」とか「負けても、カッコ悪くないような負け方をしよう」という具合に、万一の場合の保険をかけるような、消極的な方向へばかり働くようになる。こうなったら、もう負けたも同然である。これが、悲壮感に訴える指導法の一番の落とし穴だ。

監督・指導者の適性
 決断が遅いタイプよりも、少々ピントが外れていてもいいから「これだ!」と確信をもって選手を引っ張っていけるような人がいい。勝負というのは、正しい方が勝つわけではなし、やってみなければわからない。

 そのとき、何が正しいかにこだわって、迷ってしまうような監督よりも「これでいくぞ」と気合いをかけて、みんなを引っ張っていくタイプの方が、結果もいいようだ。チームの中に闘志と一体感を作り出せる人である。

強くない人間の優しさは嘘っぽい
     (真の優しさは「強さ」から生まれる)
 単なる慰めとして連発される「ドンマイ、ドンマイ」は、一見ミスした選手を責めない「優しさ」に見えながら、裏には「そのかわり俺のミスもとがめないでくれ」という言い訳を含んでいるような気がする。さもなければ「勝っても負けても、どっちでもいいんだよ」という、勝負に無責任な気持ちがあるかのどちらかだろう。

 不思議なもので、人間は力がついてくればくるほど、公正な気持ちになり勝つことばかりにこだわるのではなく、スポーツを通しての人とのふれ合いのすばらしさに目覚めていく。人との真のふれ合い、この世で、これほどすばらしいものが他にあるだろうか。

修羅場をくぐった男の陽気さ
 リーダーの陽気さの中には、やはり厳しさを知っている陽気さというか、修羅場をくぐってきている陽気さというものが必要だろう。ラグビーに限らず、強い選手はたいてい明るい人が多い。そういう、一つの物事を成し遂げた人間の本当の陽気さというのは、すばらしいと思う。リーダーは、そういう「すてきな陽気さ」を身につけたユーモア人にならなくてはいけないというのが、私の持論なのだ。

真のチームワークとは
 真のチームワークとは、実は強調性のことなんかではなく、一人一人の選手が強くなって、他のチームメイトに迷惑をかけないということである。更に、他のチームメイトの失敗をカバーしてやれるほど、余裕をもった強さを身につけるということである。あまり一緒に仲良く遊んだり、酒を飲んだりすることとは関係がない。

勇気は心の力
 自分に「勇気」という、この世の中を生きていくために一番大切な「心の力」を与えてくれたラグビーに限りなく感謝したい。自分にラグビーがあったからこそ、私は何事にも勇気をもって取り組むことができた。

 ゲーム中に強大な敵に敢然と立ち向かってタックルする勇気に始まり、大勢の人の前でアガらずに大きな声で話ができる勇気、自分がこうと信じた行動を貫き通せる勇気、反対に自分の非を素直に認められる勇気、そして、失敗を恐れずに未知の何事にも立ち向かっていける勇気。

 物事はやってみなければわからない。挑戦してみなくてはわからない。挑戦して、うまくいけばなお嬉しいが、失敗したって、挑戦していく過程の中に、生きがいや充実感があると思う。そして、そういう挑戦を可能にする心の力を「勇気」と呼ぶのだろう。

なぜ「強さ」を重視するのか。そのわけはチームの優勝という最高の喜びを手に入れるためである。と同時に、強さをくぐり抜けた「優しさ」、修羅場を知っている、「陽気さ」という、最高の価値を身につけるためだ。