三 山 春 秋  *上毛新聞平成6年11月25日付*

 失礼かもしれないが、あえて言いたい。新横綱・貴乃花関は若者らしい自分自身の言葉でしゃべった方がいい。「不惜身命」と言い出しては戸惑うばかりである。

 22歳の若者が大切な日のため心の奥の奥に秘匿していた特別の言葉でもない。「昨夜、本を見て、勉強させてもらいました。」と語った。前々から知っていたとしても逆に即席知識と見えてならない。字面から意味は推察できる。念のため、諸橋轍次さん編集の大漢和辞典に当たってみた。

 「不惜身命=フシャクシンミョウ(仏)=己の身命を惜しまないで、仏道のために力を尽くすこと」とある。出典は法華経。その実例に「若人精進、常修慈念、不惜身命、乃可為説」とあった。ふだんの生活の場で出合ったりしない仏教語である。きっと、記者会見慣れしただけにウケ言葉を探したに違いない。となるとサービス精神旺盛である。

 つい先場所では全勝優勝をしながらも、横綱審議委員会は昇格を見送った。それは妥当であった。今回の連続全勝優勝はその時の悔しさをバネにしたからと大方は見る。それはデキ過ぎな結果論でしかあるまい。恵まれた血筋といい、体格、所属部屋など、すべての相撲環境に不足はない。

 やっと心技体がそろった結果であろう。だから、自分が言っているように相撲道専心でいい。素直に感じたことを素直に話した方がいい。禅語みたいな言葉を引き出す役は別な人に任せるがいい。

 記者会見などの土俵外でも土俵上と同様、自然体が似合うのが力士である。カッコー付けるうちは本物ではない。いつも言動が注目される立場は相当なプレッシャーに違いない。それを耐えてこそ第一人者・横綱である。

 不惜身命と聞いて涙を浮かべる人

根本 満

 かなりの年輩の方で、不惜身命と聞くと思わず涙が込み上げてくるという人がいる。なぜかと聞くと、この言葉は戦争に出かけて、国のために自分の命を捨てることを意味する言葉だったという。そんな意味があったなんてつゆ知らず、貴乃花は使ったのである。その言葉を聞いただけで、今は亡き人を思い出し、悲しみの涙にくれる人がいるなんて全く知らないのである。

 知らない言葉を不用意に使ってはならない。自分がその本来の意味や、言葉の歴史を知らないのに、わざわざ難しい言葉を使ってカッコをつけてはならない。誰もそれによって教養があるなんて思いはしない。それよりも、誰でもがわかる言葉で、自分も好きな言葉を選んだ方がよほど良い。

 マスコミに話題を提供する目的ならば、もっと他に言葉があるはずである。例えば、「四面楚歌の境地で精進する」とか「五里霧中で頑張る」とか、はたまた「言語道断の横綱になる」とか「暗中与作、否、暗中模索で無我夢中に相撲をとりたい」などと言えばマスコミ受けすること請け合いである。四字の熟語にこだわるのなら、受験生のための、入試によく出る四字熟語にでもした方がまだましである。

本当に大事な事は何か?
 小沢一郎という少しは有名な政治家が、新進党の結成の挨拶でなんと貴乃花の使った「不惜身命」をこれまたウケねらいで引用したのにはあきれてしまった。ほとんど何も知らずに使ってしまった言葉を、政治家が人気取りのために使うという愚かさ。一体何を考えているのかわかりません。

 本当に大事な事は何かを、もっと良く考えた方がいい。もっと自分らしさを出す努力がほしい。真に教養がある人ほど、人生経験を積んだ人ほど分かりやすい言葉で表現できる。むやみに難しい言葉や、Englishを使いたがる人ほど自分に自信がない事を暴露しているようなものである。(つい最近の栃東の平凡な口上は好感が持てました。)